train de ville
風邪・・
最近心の風邪を引いていた私は家から出る事なく(用事がある時以外)、
心を暖めるべく家でヌクヌクと過していた。
そして久しぶりにPCと向かい合っている。
昨日掃除機をかけている時にふと思った。
心もこんな風に掃除できればいいのに・・・と。
問題はわかってるようでわかっていないのか、それは単なる甘えでしかないのか?
大人になると叱ってくれる人が少なくなるというか、人に対して叱らなくなる。
大人だから?個人を尊重するから?関係を悪くしたくないから?
相手を尊重しながら話す事も大事だけど、そうじゃない時もあるのではないかと常々思う。
それって単なる八方美人でしかない事も多々あるし、
そんないい人って信用できない。
「うんうん、わかるよ、大変だよねそれって~。」みたいな感じ。
何がわかるの??って思ってしまうから私はそう言われそうな時は話さない。
そう、結局何を思ったかというと心に掃除機があると人間面白味がなくなる。(短絡的なのはダメね)
色んな面を持ち、ぶつかり、乗り越え、進んで行く事が生きる事であり
それを教わり痛感したのが、今夏の私の祖父の死であり、彼の祖母の死である。
それぞれの人生を自分の幸せより、家族や親類そして周りの人々の幸せを思い願い続けて
精一杯生きた2人や、先人達のように、生きたいと切に願う。
物や情報が氾濫している現代、それに全てを委ねるのではなく自分の五感大切にしたい。
春には春の匂いを、夏には夏の暑さを、秋には秋のおいしい食べ物を
冬には冬の白い美しさを。
鼻でその香りを嗅ぎ、耳で風の声を聞き、目で植物を愛で、口で四季の収穫物を頂き、
体全体でその息吹を感じる。
そんな風に生きて生きたいものですな~。
最近は・・
我が家には色んなゲストが来ています。
旅路途中の青年、日本から赴任している飲み仲間の夫婦、蟻の研究にきている研究者、
ヨーロッパの地図を作っている人、などなどバラエティー豊かです。
2人で過す時間が多かった私達にとっては、生活のエッセンスとなる時間でした。
でも、ホスト役というのもなかなか難しいもので、飲み物を取りに行く・ご飯を持ってくる、
位の行動は良いけれど、それ以上に細々動くと、
・会話をしっかり聞けない。話せない。
・ゲストが動こうとする。
などと、逆に人に気を使わせてしまうほど動くのもホストとしてはまだまだ未熟だな・・と。
食器は足りないし、テーブルはちゃんとしたのもなく、何かと不便さを感じさせてるかもしれないけれど、
1番大切なのは、みんなで寛ぎながらちょっとしたゴハンとお酒、
そして色々な話をしたり聞いたり楽しめる時間があればそれだけでいいよね?♪
一期一会ですね☆
来てくれたみなさんありがとう。
Musée du Montparnasse
ぐぅ~たら
私をくすませる何かに覆われた今日は、徹底的にその見えざる何かを
払拭せず、それ以上にもそれ以下になることを投げ出し
気の赴くままに夜を迎えた。
こう徹底的にそれを成す、又はあきらめる事ができるのは何て気持ちのいい事だろうと思った。
特に時間の使い方や割り切り方。
出来るようでなかなか難しい。
1つの事に集中しながらも他の事を考えるのは、よくある事で別に悪くはない。
ただ全く何もしない時間というのは、出来そうでなかなか出来ないなぁ~と。
時間が少しでもあると、「アレもしよう、あっコレ忘れてた!」などと
コチャコチャと貧乏性の様に動いてしまう。
悲しい事にそんな自分からなかなか脱出できない。
でも、今日はそんな自分を振り切り、心と体の声に忠実に過せちょっと気持ちいい。
なんだか体が疲れてるせいもあるだろうけど。
年かしら・・・?
Dejeuner de samedi.
日本人のお米と同じ大事な主食の1つ。
その上に野菜の煮込み・鶏肉の煮込み・肉団子など、3種類が盛り合わせられている本日のオススメを注文。
結構こってりしてる様な感じに見えるけど、基本的には少量の油でお水を使わず野菜の甘み・水分・ハーブ・スパイスでしっかり長時間煮込こんでいるものなので、とてもサッパリしていて、ヘルシー!
だけど、ヘルシー過ぎな感じで「もう少し辛くてもいいな~、濃くてもいいな~。私でも作れるコレ。」という感じ。
本場モロッコではどうなんだろう?
スパイシーな物が苦手なフランス人に合わせてこうなったのか?
まぁ、そんなこんな思いながらも、
天気の良かった土曜の昼下がり、市場の一角にあるスタンドのこの屋台、周りにもクレープや
イタリア料理・日本食などの小さいお店が犇めき合ってとってもいい雰囲気で、
新たに発見したいいスポットでした♪